2022年7月8日。黒木渚のライブに初めて行った。
ライブは去年の12月に行ったのが最後だった。このライブもチケットを取ろうか迷っていた。しかし記念すべきライブだと知り、行かなければ後悔するだろうからとチケットを取った。そして当日、安倍晋三元首相が銃撃に倒れ死去した。
ライブに行く前家でニュースを知り凍りつき、そのまま会場に行く電車の中で訃報を知って、泣きそうになった。しかしこの日にライブがあったのは、私にとって本当に救いだった。
黒木渚を知るきっかけはいつだっただろう。いつも聴いてる「深夜の馬鹿力」で伊集院さんが「アーモンド」について触れた時?吉田山田の山田さんが好きだと言ってたのを聞いた時?そのあたりから気になり出し「黒木渚のオールナイトニッポンR」を聴いたのも覚えてる。病気になり活動休止した後、ワチドアに出た回も2回は聴いた。そして今年リリースされた「予測不能の1秒先も濁流みたいに愛してる」を買った。黒木渚の初めて買ったCDだ。
濁愛を購入するきっかけに至ったのは、リリースの少し前に「砂金」という曲を聴いたからだ。私はその時人生に疲れ果て、死にたい境地まで追い詰められていた。しかしこの曲を聴いた時、私の全てを包んでくれるような温かさを感じ、涙が出た。まさに私も「死に損ない」のうちの一人だった。
川の水の冷たさに 指の感覚は失われ 割れるような耳鳴り
もう駄目だ もうお終い 命さえ捨てましょう
溺れる事すら許さぬ 浅瀬にうずくまる
誰の安らぎか 慰め きれいごと
底の無い井戸は 波紋を知らない真空のような悲しみは 貴方の鼓膜を殺した
逃げ道伝える前に
瞳よ鼓膜よ渚へおいで
強くたくましいこの場所では
誰もが自由だ
まさに今の私を救うための歌詞だと思った。私はいつも救ってくれる音楽やラジオを聴くための鼓膜さえ、殺されていたからだ。その「渚」というところへ行きたい。そこはどんなところなのだろう。疲れ果て傷ついた人たちが集まる、優しい場所なのだろうか。
私は黒木渚の他に好きな女性シンガーが何人かいる。NakamuraEmi、吉澤嘉代子、ヒグチアイ…。それぞれにそれぞれの才能がある。しかし黒木渚が、一番私の生き方と重なってると勝手に感じていた。「全員ぶっ潰す」と思いながら、怒りながら生きてるっぽいところが。
これまでライブに行ったことのない私の黒木渚のイメージは「強くて美しい」だった。しかし実際ライブを観てみると、強いというより弱いところも醜いところも全部曝け出すし、美しいというよりはものすごくドロドロしていた。嵐みたいに気性が激しく、自分のエゴを通すためなら何でもやる人だと感じた。
未発表「ポニーテール」でドレスの上のショールを脱ぎ捨てた黒木渚は、繭を脱ぎ捨てたかのように見えた。
その後の新曲「さかさまの雨」から激しい曲が続き、私は本当に久しぶりにロックバンドのライブを観に来た気分になった。サポートメンバーで唯一知ってたのは、ギタリストの井出上誠だった。ロックチューンは特に「ダ・カーポ」が本当に格好良かった。
MCでは、10周年を迎えた黒木渚という音楽家の思いを色々聴けた。しかし私は初めてここで気づいた。いや、前々から気づいてはいたのだが、言語化出来た。音楽家は音楽家であり、それ以外は本業ではない。確かにMCやインタビューを聴いたり読んだりするのも、しないよりかはいい。だけど音楽家・歌手ならば、一発歌ってくれたら、その思いというのは問答無用で届いてしまうのだ。
音楽に感動する、それは歌詞に共感したからとかメロディが琴線に触れたからとか、色々理屈や理由があるのかと思っていたが、最近はそうではないと思っている。歌詞なんてなくて、それが「ラララ」だけでもスキャットでも、本当の歌手なら痛いほど感情は伝わり、その思いは私を侵食し支配してしまう。
歳を重ねてから行くライブは若い頃と違って、ステージを観るのは自分を観ること・対峙することにもなるから、結構辛い。私にとって音楽はただのエンタメではない。
黒木渚は音楽と心中したいのだなと思った。あたしの心臓、生贄に差し出して。音楽への愛や執着が半端ない。
美しい火の鳥にも弱い獣にもなる人。それらすべてひっくるめて「美しさ」だった。彼女の口から出る「絶対」は本当に「絶対」なのだろうなと思った。それは狂気に近い約束だった。
色々救われました、マジで。