おやすみ、September

おもにラジオ投稿採用記録とライブ・イベントレポ

CURE

数日前から、できるだけ自分と社会を遮断している。

結果から言ってしまうと、私は今とても疲れている。とてつもない疲労感に潰されそうだし、呼吸も苦しい。
だから気持ちの整理としてこうして文章を書く力もないし、正直面倒でたまらない。
でもできるだけ自分の今の気持ちを残しておこうと思う。

これはたくさんの人もそうだと思うけれど、コロナ禍が始まり暗いニュースが続き、メンタルの免疫力は下がっていた。
そこでここ数日でいろんなことがあった。いろんなことが重なり、疲れはピークに達した。

その原因の一つに、朝から晩までラジオをつけっぱなしだったのもあると思う。
朝は世界で起きてるニュース、昼は生活情報、夕方はバラエティ、そして深夜は芸人ラジオを聴く毎日だった。
しかしそれは私のキャパシティにとって、情報過多だった。

私は自分を守るシェルターを作ることにした。
SNSはできるだけ見ない。
ラジオを好きになってから初めて、どうしても聴きたいラジオ以外は遮断することにした。ラジオがネガティブな内容でなくても、人の言葉や笑い声を聴くだけで疲れてしまう。
音楽も聴くなら、なるべく歌詞が入ってない方がいい。
そして苦手で、普段滅多に観ない映像作品を観ることにした(私は目で得る情報が苦手だ)。
今現在、映画は「エスター」と「羊たちの沈黙」を観て、海外ドラマは「ハンニバル」を観てる最中だ。
ラジオはやはりどんなに楽しい内容でも、今のこの世界と地続きだ。
だけど映画は100%フィクションでエンターテインメントだ。

私は自らHSPだとか自分のことを繊細だという今の風習を、とても気持ち悪いと思ってる。
なぜならHSPは病気でも障害でもないから、医学用語ではないし医者も診断しない(カウンセラーは使うようだが)。
そんな曖昧な現代病のようなものを持ち出して、繊細ぶったり自分は人と違って可哀想でしょ?と自ら言うような風習に吐き気がする。
しかしそう思いながらも、自分自身人の感情に共感してしまいすぎると自覚している。
ラジオでパーソナリティの周りに不幸が起こった時の放送を聴いた時、ライブを観に行けばアーティストの苦悩まで勝手に受け取り苦しくなる。
相手の立場に立って共感する(認知的共感性)のではなく、相手の感情が勝手に入り込んでくる感覚(情動的共感性)だ。

最近、生まれて初めてサイコパス(或いはソシオパス)では?と思う人間に出会った。
私は医者でもカウンセラーでもないから、本当にその人がサイコパスかどうかはわからないが、明らかに人としての感情が欠如してると感じた。
共感性が高い自分のような人間とサイコパスは、真反対の種類だと思ってるが、私が自分でも分からないのは、全員の痛みや不幸に共感するわけではない。
例えばずっとテレビの中で見ていた、会ったことも言葉を交わしたこともない芸能人が亡くなった時、私は人より心を痛める。
しかし自分の家族、今まで母、祖父、祖母、父の順に亡くして来たが、落ち込んだりするどころか、自分でもゾッとするほど何も感じない。
これが家族仲が悪かったならまだ分かる。そんなことはまったくないのだ。
こういう側面は少しサイコパスっぽいなとも感じる。
それに他人から見て「そんなことで?」と思うことですぐ怒るし、絶対に許さないし、できればこの手で相手が一番苦しむことをしてやりたいと思う。

話を戻すが、私は疲れてるが悲観的になってないし、自分を大切だと思えてる。
だからシェルターの中で自分で自分を癒す期間を設けてる。
私の体に耳をすませ何を食べたいか問う。それを自分で作り体に与える。
スキンケアで肌にも栄養を与える。
部屋を心地好くすごせる空間にするため掃除をする。
雑音だと思うものを取っ払う。
どんどん安らかになっていく。
自分で自分を治療していけたら。
それは自分一人の力では無理だから、私の心を豊かにしてくれる人や物に頼るが、シェルターを作り組み立てるのは私だ。
自分だけのシェルターを幾つも作っておいて損はない。